LOGIN昼休みの学食で、俺は時計を見た。
十二時二十五分。
いつもなら、もう陽菜が来ていてもおかしくない時間だった。
約束したのは昨夜だ。
『明日、昼一緒に食べる?』
俺はほとんど考えずに『いいよ』と返した。
場所も、いつもの奥の席。
それだけだった。
別に重要な約束ではない。
昼飯を一緒に食べるだけだ。
だから五分や十分遅れたところで、気にする必要はない。
そう思いながら、また時計を見る。
十二時二十八分。
「……遅いな」
口に出してから、自分で嫌になった。
待ち合わせに慣れていない人間みたいだ。
スマートフ
第62話 会いたいって言うのは、束縛になりますか 陽菜に「会いたい時は言って」と言われた翌日から、俺は逆に何も言えなくなった。 理由は簡単だった。 言っていいと分かった途端、どこまで言っていいのかが分からなくなった。 朝、陽菜から「今日は授業のあと練習」とメッセージが来た時、本当は少し会いたいと思った。でも練習があるなら無理だろうと、そのまま「了解」とだけ返した。 次の日は、昼休みにたまたま時間が合わなかった。午後の講義が終わってからなら十五分くらい会えそうだったが、陽菜はそのまま部活へ行くはずだったので、やはり何も言わなかった。 三日目。『今日、練習たぶん早く終わる!』 陽菜から届いた。 前に言っていた木曜日。 会えるかもしれない日だ。 俺はすぐ、『終わったら連絡して』 と返した。 それだけ。 本当は。『会いたい』 まで打った。 でも消した。 自分でも面倒だと思う。 前は、会いたいと言わないことを指摘された。 今度は、言うことが怖い。「香坂、お前最近メッセージ打って消すの好きだな」 隣から蒼に言われた。 講義が終わった直後だった。「見てた?」「見える位置で三回くらい消してれば嫌でも気づく」「別に」「またそれ?」「今回は本当に大したことじゃない」「じゃあ何打った」「会いたい」「で、消した?」「うん」 蒼は呆れたように俺を見る。
第61話 彼女が忙しいと、会えない理由にまで嫉妬する 夏休みが近づくと、陽菜の予定表から俺の入る隙間が少しずつ消えていった。 正確には、消えたわけではない。昼休みに会う日はあるし、講義終わりに十分だけ話すこともある。電話もする。ただ、前みたいに「今日帰り一緒に帰る?」と聞けば、かなりの確率で「いいよ」と返ってくる状態ではなくなった。 理由は全部分かっている。 陸上部。 夏の大会。 強化練習。 ミーティング。 先輩後輩との調整。 夏休み中の合宿準備。 どれも遊びではないし、陽菜にとって大切なものだ。 だから。 理解している。 理解しているのに。『今日、練習後みんなでご飯行くことになった! 帰り遅くなるから電話はまた明日でもいい?』 そのメッセージを見た瞬間、俺は少しだけ面白くなかった。 その日は、夕方に電話する約束をしていたわけでもない。 俺が勝手に、今日は話せるかもしれないと思っていただけだ。 それなのに。『了解。楽しんで』 と返したあと、スマートフォンを伏せて。 数秒して、また開いた。 何を確認したかったのか、自分でもよく分からない。 返信は来ていない。 当然だ。「香坂」 向かいから蒼が言った。「何」「さっきからスマホ裏返したり戻したり何してんの」「別に」「それ、別にの動きじゃないだろ」 俺たちは大学近くの喫茶店にいた。 蒼がバイトに入る前、珍しく時間が空いたと言うので、俺も付き合っている。
第60話 初めてのツーショットは、たぶん全然盛れてない 明後日に撮る、と約束した初めてのツーショットは、約束した時点ですでに少し面倒なものになっていた。 当日の朝、陽菜から最初に届いたメッセージがこれだった。『今日、写真撮るんだよね?』『その予定』『服、普通でいい?』『いつも普通だろ』『そういうこと言ってるんじゃない』 その五分後。『髪どうしよう』『いつも通りでいいんじゃない』『悠真に聞いた私が悪かった』 さらに十分後。『やっぱポニーテールにする』『了解』『反応薄くない?』『何て返せば正解』『可愛いと思う、とか』『まだ見てない』『そういうところ!』 朝から疲れる。 でも、嫌ではなかった。 昼過ぎ、講義を終えて大学の正門近くで待っていると、陽菜は本当にいつも通りのポニーテールでやってきた。服も特別に気合いを入れた感じではなく、薄い色のシャツにスカートという普段に近い格好だった。 俺を見るなり、陽菜は少し不満そうな顔をした。「何か言うことない?」「お疲れ」「違う」「暑いな」「もっと違う」「髪」「うん」「いつも通り」「……悠真」「何」「今日だけでいいから、もう少し彼氏やって」 かなり無茶を言う。 でも、朝のやり取りで正解は聞いている。「似合ってる」
第59話 恋人の写真を持っているだけで、安心する? 声の録音について話し合った次の活動日、神崎先輩は机の上に一枚の相談カードを置いた。「今日はこれね。前に一度読んだけど、ちゃんと考える時間が取れなかったやつ」 俺がカードを手に取ると、見覚えのある文章だった。『付き合っている恋人がSNSに載せた写真を全部保存しています。削除された投稿の写真も残っています。見ると安心します。本人には言っていません。これって怖いですか。』 読み終わったところで、陽菜が少し難しい顔をした。「前に読んだ時も思ったけど、これ答えにくいね。付き合ってるなら写真持ってること自体は、そこまで変じゃないと思う。でも全部って言われると、ちょっと引っかかる」「削除されたものまで残してるのもあるな」 俺が言うと、澪先輩も頷いた。「本人が消した理由が分からないから。単に投稿を整理しただけかもしれないし、写りが嫌になったのかもしれないし、残したくなくなったのかもしれない」「でも、一回ネットに出したなら保存される可能性はあるよね」 陽菜が言った。「可能性があるのと、恋人が黙って全部保存していいかは別じゃない?」 神崎先輩が返すと、陽菜は少し考えてから「それはそう」と頷いた。 この手の話は、最近ずっと同じところへ戻ってくる。 好きだと思うこと自体は自由。でも、その気持ちを何かの行動へ変えた瞬間、相手がいる。 ただ、今回は少し違った。「これ、相談者は何に安心してるんでしょうね」 俺が聞くと、神崎先輩が少し意外そうな顔をした。「そこ気づいた?」「文章に書いてあるので。『見ると安心します』って」「そう。私はそこが一番気になった」 陽菜が相談カードを覗き込む。「写真
第58話 声を残したいって、どこまでなら大丈夫? 次のフェチ研の活動日、机の真ん中には一枚の相談カードと、陽菜のスマートフォンが置かれていた。「何で私のスマホが展示物みたいになってるの」「今回の題材だから」「勝手に題材にしないで」 陽菜がすぐ自分のほうへ引き寄せる。「でも録音したいって言っただろ」「言ったけど、私のスマホを会議机の中央に置く必要はない」「確かに」「悠真、こういうところ雑だよね」「俺が置いたわけじゃない」「誰?」 全員。 神崎先輩を見る。「ごめん。分かりやすいかなと思って」「先輩」「はい」「人のスマホは資料じゃないです」「反省してます」 言いながら、神崎先輩はそこまで反省していない顔だった。 澪先輩は相談カードを手元へ寄せ、改めて文面を読んだ。『好きな人の声が好きすぎて、授業中に発表している時の声をスマホで録音したくなります。まだ録音はしていません。でも忘れたくないと思ってしまいます。変ですか。』「まず」 神崎先輩が言う。「気持ち自体は変じゃないと思う」「録音したくなる気持ち?」「うん」 陽菜が頷いた。「私も分かる」「じゃあ」 俺が聞く。「どの声残したい?」「今ここで?」「相談のため」「便利に使うね、それ」「でも必要」 陽菜は少し迷ったあと、椅子へ座り直した。「大会
第57話 夏のフェチ研、相談箱が増えすぎました 交流祭が終わってから一週間。 フェチ研の部室には、一つ大きな変化が起きていた。「先輩」「何?」「これ、今日届いた分だけですか」「うん」「全部?」「全部」「……多すぎません?」 机の中央には、相談用の封筒が積まれていた。 交流祭前までなら、多くても一週間に二、三件だった。何も来ない週だって普通にあった。それが今は、大学の相談フォームと学生ホールの匿名箱を合わせると、一日に数件届く。 今日は特に多い。 数える。「十一」「正解」「喜ぶところですか」「需要があるってことだから」「でも処理できませんよ」「相談を処理って言わないの」 神崎先輩に言われた。「じゃあ対応」「それならいい」「意味そんな変わります?」「印象が違う」 陽菜が隣から封筒を一枚取った。「悠真、こういう時だけ急に事務員になるよね」「数を把握しないと回らないだろ」「ほら」「何」「交流祭の時と同じ顔」「どんな顔」「全部管理したい顔」「してない」「してる」 澪先輩まで小さく頷いた。「してる」「白石先輩まで」「でも必要」「どっちですか」「面倒だけど必要」「最近それ







